フェイブルマンズで知る映画の魔力
どうも電気チューンズです。もうすぐアカデミー賞ということもあって今映画館でアカデミー賞ノミネート作品が色々公開されていますね。今回はトップガン マーヴェリックとかエブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスなど真面目な映画をノミネートするイメージのあるアカデミー賞にエンタメ映画がバーンとノミネートされているという珍しい展開になっていますね。別にトップガンが不真面目って言ってる訳じゃあないんですよwあんな真面目な映画はない。
さてそんな中、今年のアカデミー賞の本命。アカデミー賞常連のスティーブン・スピルバーグ監督の最新作もノミネートされております。今回はスピルバーグ監督最新作をご紹介。
フェイブルマンズ
来ました。本命。今作はスピルバーグの自伝的作品で映画監督になる前の少年時代・青春時代を描いています。監督自身「この物語を語らずに自分のキャリアを終えるなんて想像すらできない」と言うくらい思い入れのある映画のようです。
監督はもちろんスティーブン・スピルバーグ。脚本はトニー・クシュナーと共作しています。通常スピルバーグはあまり脚本は書かないのですが、今作は自伝的映画ということもあって、「ミュンヘン(2005年公開)」「リンカーン(2012年公開)」「ウエスト・サイド・ストーリー(2020年公開)」で脚本を書いたトニー・クシュナーとガッツリ二人で作っております。
撮影はもちろんヤヌス・カミンスキー。今やスピルバーグ映画に欠かせないカメラマンとなっている彼も当然今回も登板です。編集もマイケル・カーンで、この人もスピルバーグ映画の編集を「未知との遭遇(1977年公開)」からずっと手がけている人です。
そして音楽は映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズ。今年公開のインディ・ジョーンズ5で引退と言っていましたが、引退を撤回して生涯現役で頑張る宣言をしています。今作はピアノ曲を中心にまたもや素敵な曲を作っています。はっきり言って今作はサントラがとてもいいです。まだまだ元気に続けて貰いたいですね。
まさに万全の布陣!
さて、今作はどうゆう映画かというと、スピルバーグの自伝的な映画ですが、主人公はサミー・フェイブルマン。まあスピルバーグの分身ですね。サミーが少年時代に映画に出会い映画へ惹きつけられて行くことと、サミーの両親、特に母親を中心に物語は進んでいきます。
映画を観る前は、いかにスピルバーグが映画と出会い、映画の魅力に惹き込まれ、映画監督になったかを、スピルバーグの過去作の名シーンをオーバーラップさせたりして、映画愛に溢れた暖かい映画みたいな感じかな、と思っていました。確かに途中まではそんな感じなのですが、途中から家族の(特に母親の)シリアスな展開になっていき、結構思っていたのと違う映画になっています。スピルバーグの超私的で超秘蔵なエピソードをセキララに描いているので何とも辛いと言うか気まずいというか複雑な気持ちにもさせられる映画です。
幼い頃両親に初めて映画に連れて行ってもらって観る「地上最大のショウ(1952年公開)」の列車衝突シーンに文字通り衝撃を受けて、激突し破壊されるものに惹かれるようになったサミーが、おもちゃの列車で衝突させるのですが、その衝突シーンがおもちゃの列車とは思えないくらい「地上最大のショウ」を再現していて最高でした。改めて「スピルバーグすげえな」と思わされます。このエピソードは結構有名なスピルバーグ自身のエピソードなのですが、観客ごと追体験させて、「地上最大のショウすげえな」と思わせてから、更に自分でも再現してみせるというスピルバーグ。流石ですね。
地上最大のショウの列車衝突シーン ミニチュアなんでしょうが凄い迫力!
学生時代に撮った自主制作の西部劇や戦争映画を作っているところも見れてメイキングを見ているようで楽しくなりました。
↓コチラはスピルバーグ本人の撮った自主制作映画
今作ではこの自主映画も再現していてとても楽しいです。
今作で出番は少ないものの重要な登場人物として、ジャド・ハーシュが演じるボリス伯父さんがいます。ボリスは「お前には芸術の血が流れている」とサミーに映画制作の楽しさを語りますが、その一方で「芸術は家族と常に衝突し引き裂かれる関係にある」と伝えます。これが後々予言のように意味がわかるのですが、ここから今作はどんどん辛い展開になっていきます。
あまり書くとネタバレになってしまいますが、サミーが家族の記録映像を編集中に家族の秘密に気づいてしまうのですが、その演出がまるでサスペンス映画のようで、さすがスピルバーグだなと改めて感心させられます。
学校の思い出づくりイベントの撮影係になってクラスメイトを撮影するのに、いじめっ子で嫌なやつなのに、ついかっこよく撮ってしまうところもいいですね。例え大嫌いな奴でもファインダー越しに写る姿のカッコよさには嘘をつけないんだな〜と思いました。昔ナチス製作した「民族の祭典」というプロパガンダ映画があって、内容はただのプロパガンダで「ドイツ最高!我が国最高!ドイツの選手は世界一イイイイィィ!!」みたいなんですが、そこに映っている選手たちの映像は確かに素晴らしいので複雑な気持ちになるのを、ユダヤ人であるスピルバーグが感じた気持ちと重ねたのかなと思いました。
また、その映像を観たいじめっ子本人が見せる反応が予想外でハッとさせられました。てっきり「お前すげえな」みたいになって仲良しになるのかと…
スピルバーグ映画を観ていると、「流石」「すげえ」「上手い!」とか語彙に乏しくなってしまいますね。
そして何といっても今作のもう一人の主役と言ってもいい、サミーの母親のミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)の演技が素晴らしくてアカデミー賞も取っちゃいそうですね。家族でキャンプに行って母親が酔っ払って踊り出すシーンが、美しいやら痛々しいやら素晴らしいやらでなんかおかしくなりそうでした。
そんな訳で、この映画は、映画の素晴らしさを描いた映画というより(まあ最終的には一周回ってそれも描いているのですが)映画の持つ魔力に気付いた(気付いてしまった)少年の物語のように感じました。映画は現実も映せば虚構も映すことが出来るという、使い方一つで人を感動させたり喜ばせることが出来る一方で、人の内面を曝け出したり、ありもしないものを映したり、観たくもないものまで映し出すことだって出来る、恐ろしい魔法のようなものだということを言っているのかなと思いました。そしてその映画の魔力こそが映画の魅力なのだと。
個人的にスピルバーグの映画を観ていると、まるで魔法にかけられたかのような感覚がたまにあって、ハッとさせられて「あ、また魔法にかけられた」と思うことがあるのですが、彼は映画の魔法の使い方を完全にマスターしているのでしょう。
そして、最後にとっておきのオマケが待っているので、観客はメチャクチャ笑顔にさせられ、「また一つ映画の魔法にかけられたなあ」と思わされて終わるという、これこそ映画だなと思わされました。
こんなん劇場で観れるのだから映画好きなら絶対観るべき一作です。是非是非映画館でみましょう。
でわでわ。
スピルバーグの原体験映画。アマプラでも観れまっせ。
E.T.もスピルバーグの自伝的要素が多い映画とも言えるでしょう。
インディ3作目の最後の聖戦ではインディの父親が登場。断絶した父子の和解を描いています。